なぜ、とらやの羊羹は有名なのか

冷蔵庫に「とらやの羊羹」がありました。
たぶん、同居の母が誰かにもらったんだろうと思います。

とらや ようかん

普段は和菓子はあまり好きでなく食べない私ですが、なぜかとらやのは食べてしまいます。
なぜかっていうと「とらや」だからっていうのと、小さくてスティック状でたべやすいからです。
ブランド力と利便性に取り込まれてしまっているわけです。

正直味はわかりません。ふだん、和菓子食べないもん。

アマゾンで3,240円高いので自分から買うことはまずないが、
「ちょっとがんばらなきゃいけない」あるいは「気持ちを表したいとき」などには最適なお土産です。
最近では、人事部が内定者に就職してもらうためにもってくんだって。親に。(ゆとりすぎ)

しかし、とらや。

すこしだけ気になりましたので、とらやのことを少し調べてみました。

 

1.創業はなんと室町後期!

室町後期に京都の伏見で創業され、480年ほどの歴史があるそうです。
後陽成天皇に和菓子を献上し、皇室ご用達となったそうです。
ただし、この頃は「羊羹のとらや」ではありませんでした。

 

2.駿河屋が羊羹を発明!

虎屋に先駆けること数十年、室町中期に京都伏見で創業された「駿河屋」にて羊羹が発明されました。
「5代目岡本善右衛門」の頃、かの有名な聚楽第の大茶会で太閤秀吉より羊羹が各大名への引き出物とされ大絶賛されます。
ただし、当時の羊羹は今と違って小麦粉を用いたものであり、寒天を使っての今のようなようかんになるのはもっと後のことです。(江戸中期あたり)

秀吉の“紅羊羹”を超える羊羹を作れ―。直江兼続より、翌年行われる関白主催の花見の会での上杉家の羊羹作りを任された庄九郎。練り羊羹を味わったこともなかった庄九郎による、越後ならではの羊羹を求めての戦いが始まった

以後、駿河屋の和菓子の天下はずーっとつづきます。

が、

近年にいたって架空増資事件やらなんやらありまして、2014年に民事更正法手続きと事業停止になってしまいます、、、。
その後なんやかんやで関係者が協力し合い事業は再開される模様。

 

3.さて、とらや

和菓子や羊羹と言えば駿河屋だったのが、なぜいまは「とらや」なのか。
とらや躍動の秘密は、戦時中の軍用で売上がけっこうあがった、戦後の早い段階で日本橋・銀座一流立地デパート出店攻勢等でブランド力を上げていた、ということのようです。

モノのない当時、デパートに出店というのは高級感がより一層際立ち、ブランド力向上に大いに役立ったことは明らかでしょう。
今でも日本橋高島屋の紙袋はブランドで「そこの店舗で買ってきた」ということが大事だったりし、なによりとらや、そもそも皇室御用達ですしね。

ようかんと言えば「とらや」、大事な人への贈り物といえば「とやら」、のブランド確立は戦後のことだったのですね。
長い歴史の中で言えば、最近じゃん!みたいに感じてしまいますが、半世紀以上前の話です。

 

(参考サイトなど)

・とらやの歴史(本家HP)

・とらやの歴史(OKWAVE)

 

多くの老舗企業が旧来のやりかたや古い考えから脱却できないままでいるのに対し、とらやはいまでも常に挑戦しています。
こんなの作ったりこんなの作ったりタブレット羊羹とかも。

古い会社でここまでやるのってすごいですね。とらや独自の企業文化でしょうか。
伝統企業というのはとかく形を曲げるのを嫌いますから、そういう意味ですごいですよね。

ただ漫然と仕事をしているだけでは、たとえいいものを作っていたとしてもブランドにはなりえないし、商売上もしない。
いいものはもちろん、いい売り方があって始めてブランドは作られるということでしょうか。

とらやのブランド確立&維持は、攻めの経営がもたらした勝利だったのですね。

そういえば、とらや創業の地、京都では聖護院八ツ橋総本店がいろいろ挑戦し世間の話題をさらっていますね。

やっぱ、挑戦が大事ですね。

 

がんばらなきゃいけないときや、大事な人へ最適なおみやげ「とらやの羊羹」

僕は昔、3億円の請求書を3千万円って書き間違えて、決済通ってしまったから期が変わるまでまで払えない無理だという顧客のトコへ切腹モナカ持ってって頭下げて必死になったらなんとかなりましたよ。

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