坂本龍馬の定宿・京都伏見の寺田屋に行ってきた!2016春

坂本龍馬の定宿・京都伏見の寺田屋

日本人の好きな歴史人物といえば、ダントツで坂本龍馬と織田信長。いろいろ見るランキングでも常にこの2人がトップ争いですよね。

さて、そんなみんな大好き坂本竜馬さんが定宿にしていた、「京都は伏見の寺田屋」に行ってきましたのでレポートします。

寺田屋は龍馬の定宿としてドラマ等々でもおなじみ。ここで襲撃もされています。
龍馬の襲撃事件だけでなく、薩摩藩士同士が斬り合った事件もありました。
幕末の歴史には欠かせない船宿、それが寺田屋。

寺田屋は幕末の船宿なんです。いまでこそ内陸地の伏見ではありますが、その昔は「川船」によって大阪との行き来・物流の拠点と栄えました。今でも寺田屋のすぐ近くで観光用の十石船が運行されています。(いまではほんとに小さな川になっていますが往時はもっと大きかったことでしょう。)

少年が元気よくチャリンコこいでますが、ここが寺田屋です。古風で趣がありますね。

京都伏見の寺田屋

なお、最初に言っておきますが、これ再建築の建物です。
鳥羽伏見の戦いののちに再建されたものだとか。

wikipediaにはこう書かれています(2016/04/04現在)

現在の寺田屋

現在寺田屋を称する建物(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった[12]。平成20年(2008年)になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した[13][14][15][16]

京都市歴史資料館のウェブサイトにある「いしぶみデータベース」では、「寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである。」と紹介している[17][18][19][20]

大正年間に現在の寺田屋の土地・建物は幕末当時の主人である寺田家の所有ではなくなっており、のちに経営そのものも跡継ぎのなくなった寺田家から離れている。この「寺田屋」は昭30年代に「第14代寺田屋伊助」を自称する人物が営業を始めたものであり、「第14代寺田屋伊助」自身、寺田家とは全く関係はない。

ん、、

あとで引用したほうがよかったかな。記事を見る気もなくなりますよね、、、

(||´Д`)ま、いいか。

 

そんなわけではありますが、幕末~明治超初期の古い建造物でもあることは確かですし、ご紹介いたします。

下記、少年がいないバージョンの寺田屋の全景です。庭がついています。

寺田屋その2

寺田屋の全景(庭含む)

庭が隣接してまして、そちらのほうにいろいろ石碑やら説明板が立っていたりします。

まず、そのお庭から紹介していきましょう。なかなか素敵なお庭になっています。写真では無人ですが、これは人がいないすきを狙ったプロの技なのです。スマホで撮った写真だけど。
実際は老若男女けっこうな人数がいます。いつも人が絶えないみたいです。

やっぱ坂本龍馬人気は強いです。

寺田屋の庭、正面

説明板とか

寺田屋 立て看板  

寺田屋 立て看板2寺田屋 立て看板3

 

ちいさな神社にいろんな願いを込めて。

寺田屋内の神社の絵馬

洛南めぐり。伏見周辺の歴史観光マップ。

伏見歴史観光マップ

 

庭の奥には、デカい石碑と龍馬先生の銅像。

寺田屋の石碑

 

 

さて、お庭をさくっと堪能しましたら、いざ寺田屋内部へ!

 

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