不動産流通ジャーナル/97年11月15日号 |
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| 江戸英雄氏が11月13日、早朝に亡くなられた。 江戸さんは、戦後のわが国不動産業界発展の最大の推進者であった。自らが率いる三井不動産を、昭和30年代に不動産業の各部門を持つ事業体に拡大して、本格的な総合不動産企業に躍進させられた。 さらに、自社の発展だけでなく、昭和37年秋にアメリカ都市産業視察団の団長として渡米、西欧諸国も回って帰られてからは、わが国の不動産業を成長させるべきだ、と強調されるようになった。そして、同年秋それまで任意団体であった不動産協会を社団法人に再編成、その理事長になられた。 すでにこの頃には、三井不動産は東京湾を始めとする水面埋立事業、千葉県などでのニュータウン開発事業その他でディベロッパーとしての実績をあげており、江戸さんは協会の仕事として、また自社の実績をバックとして、「地価安定のためには、宅地の需給バランスの改善を」「街づくり、国づくりには民間ディベロッパーの活用を」と提唱し、そのための土地税制改正などさまざまな政策活動を展開された。 この頃からの、江戸さんのご活躍をふり返ってみると、まさに獅子奮迅(ししふんじん)そのものであった。政府の各種の審議会の委員となり、気迫をもって自説を強調しておられた。また、三井グループにあっては、最高指導者の1人として奮闘しておられた。 昭和43年の霞が関ビル竣工による超高層時代の幕開け、世界不動産連盟会長などとしての国際活動、大手としてはもっとも早期に進出して次々に実現した大型マンションや建売り住宅団地、東京ディズニーランドの開設、2×4工法住宅の普及などなど、数えあげるときりのない業績が連なり、目に浮かんでくる。 江戸さんはかなり大きな家庭菜園をもっておられ、“畑づくり”愛好者としても有名だった。昭和40年代の後半、新宿区落合にお住まいのころ、私は一夜、所用でお宅にお伺いしたら、帰る際に懐中電灯をもって畑に案内され、「僕がつくったものだ」といって、大きなレタスを新聞紙に包んで下さった。自分の家についてその包みを開いたら、土がバラバラとこぼれた。翌日、おいしくいただいた。それまで私はあまり生野菜を食べなかったが、その後、レタスをよく食べるようになった。 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。(11月13日午後、蒲池 紀生) |
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